California Dreamin'
クリスマス休暇は、15年ぶりのLAへ。
夫は元々のクリスマス休暇に休みをプラスして、渡米してから初めてバケーションらしいことが出来た。
(本人は仕事のやりくりに大変だっただろうけれど、こうでもしないと休めないのだから休めて良かったと、私は思っている)
この旅行には、アメリカ他州に駐在中の友人と、日本から飛んで来た友人も同行してくれた。
このメンバー(4人)では、卒業旅行で一緒にスペインで珍道中を繰り広げたので、LAでも再び珍道中、ということである。
とにかく、大学を卒業して相当な年数が経っているのに、こうやってまた一緒に旅行出来ることを嬉しく思う。
そして、LAでは高校の先輩と職場の先輩にも会うことが出来て、それもまた嬉しい出来事だった。
やはり以前からの知り合いに会えるというのは、ここで生活しているととても貴重であり難いことなのである。時間を割いて下さったお二方には大感謝。
LAで行った場所は、機会があれば後述することにして、今回はLAで感じたことをば。
やはり、LAに居る、カリフォルニアに居るということが人をの気持ちを高揚させる。
5日間の滞在中2日は雨に降られてしまったけれど、(カリフォルニア感は半減した感じはしていたけれど)やはりカリフォルニアに居るのだ!という高揚感。
そして、充実の日本食と日本食スーパー。
ここで生活出来たらどんなに楽だろうかと何回思ったことやら。
もはやアメリカではないなとも思ってしまった。
その、もはやアメリカではないという気持ち。
11月の大統領選挙で、私は紛れもなくヒラリーが勝つだろうと思っていた一人である。
しかし、結果は違った。大いに違った。
カリフォルニアは、ヒラリーが勝った。もちろん、これは当たり前の結果だ。
そして、ニューイングランド地方、太平洋沿岸地域はヒラリーが勝った。
これが何を意味するか。
それまで当たり前と思っていた(少なくとも私が)アメリカは、本当のアメリカではなかった。
要は、一般的な日本人が想像するアメリカは大海の沿岸地域の知識教養がある開けた土地のこと。
(アメリカへ行くと言って想像するのはカリフォルニアやニューヨークだと思う)
その開けた土地以外が、本当のアメリカなのだと強く感じている。
(もちろん、それぞれの地域で様々な考えを持つ人が点在しているのも事実なので、それはここで断っておく)
カリフォルニアは唯一無二だ。
しかし、それ以外のアメリカは割とどこにでも存在するアメリカだと感じてしまう。
なので、カリフォルニアはアメリカではなく、あくまで「カリフォルニア」なのだ。
私は、以前カリフォルニアに住んでいた。
それがアメリカだと思っていたけれど、今になってようやくその考えを正さないといけないなと痛感している。
とにかく、カリフォルニアはカリフォルニアによって守られている。
生活も、言動も、行動も。
(ヒラリー支持者の中でヒラリーを支持するのと、トランプ支持者の中でヒラリーを支持する事は大いに異なる)
反論は多々あるだろうけれど、私がここに住んでいる以上はこれをずっと思い続けるのだろうな。
更に今回思ったのは、カリフォルニアはアメリカからの賃貸物件みたいなもので、
アメリカの持ち家ではないのだろうなという事。(意味がお分かりになるだろうか?)
よく高校時代の友達に「カリフォルニアはアメリカではない」と言われていたのを思い出した。
彼女たちは、中部からの帰国生だった。
今思えば、とにかく逞しかった。生き延びたのだから、逞しいに決まっている。
果たして、今の私にその逞しさはあるのだろうか。
多分、まだ生き延びているとは言えないと思う。
ウダウダ書いたけれど、完全にCalifornia Dreamin'だなぁ。
消えない憧れ、出来るならば(やはり)住みたい。(日本食スーパーもすぐ近くにあるし)
住めなくても良いから、出来れば定期的にあの空気に触れたい。
今回の旅行で日本食のありがたみを感じ、食は生きる上で本当に重要なファクターなんだなと感じている。
なので、私たちは少しでもそれを守るために明日片道2時間かけてお正月の買い出しへ行く。
ああ、結局ここで生活を続ける私はずっとStrangerのままなのかな。